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国立代々木競技場
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』取得日時: 2007年5月17日 08:59 (UTC)
1964年の東京オリンピックの開催に備えて建設された同会場は同大会のサブ会場として使用されたもので、メインアリーナとなる第一体育館(本館・または代々木オリンピックプールともいう)では競泳競技が、第二体育館(別館)ではバスケットボールが開かれた。
その後メインアリーナは競泳以外のイベントにも対応できるように冬季はアイススケート、春季・秋季はプール部に木のパネルを貼って体育館として利用できるようにしている(但し吊り橋構造への影響を考慮しプールの躯体は現存し、鉄骨を組み蓋をしているだけ)、今日では第一体育館はアイススケート、バレーボール、フットサルなどに用いられる。さらにCHAGE
and ASKAが初めてコンサート会場として使用して以降はコンサート会場としての利用も多くなったが、東京ドームなどと同じように天井が高く反響が遅れるため音響の悪さは折り紙つきである。
その他、アリーナ部分のスペースが広く取れることから、花道や派手な演出も出来る為、K-1を主催するFEG社が、K-1 WORLD MAXやHERO'Sなどの大会を度々行っている。
第二体育館はバスケットボールの中心的な施設として利用されるようになった。また、こちらはすり鉢状の会場であり、プロレスファンからは「規模を大きくした後楽園ホール」というイメージを持たれることから、プロレス会場としても使われる。
体育館の設計は丹下健三の手によるものである。どちらも吊り橋と同様の技術を用い、一本または二本の主柱から屋根が吊り下げられ、内部に柱を持たない珍しい構造の建物である。観客を競技に集中させるために考案され、造形的にも美しく、丹下健三の代表的作品として高く評価されている。
丹下 健三
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』取得日時: 2006年5月17日 08:59
(UTC)
丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年9月4日 - 2005年3月22日)は、建築家。大阪府堺市に生まれる。「世界の丹下」と言われ、日本人建築家として、最も早く海外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。また黒川紀章、磯崎新、槇文彦、谷口吉生などの世界的建築家を育成する。
1966年AIAゴールドメダル受賞。
主要な作品
- 広島平和記念資料館、広島平和記念公園(1955年)
- 旧東京都庁舎(1957年)
- 香川県庁舎(現・東館)(1958年)
- 東京計画1960(1960年)
- 東京カテドラル聖マリア大聖堂(1964年)
- 東京オリンピック国立屋内総合競技場(代々木体育館)(1964年)
- 戦没学徒記念館(1966年)
- 山梨文化会館(山日YBSグループ14社)(1967年)
- ユーゴスラビア(現在のマケドニア共和国)・スコピエの都市計画(1966年〜72年)
- 静岡新聞・静岡放送東京支社(山日YBSグループ東京支社も使用)(1967年)
- 電通旧本社ビル(1967年)
- 静岡新聞・静岡放送本社ビル(新聞放送会館)(1970年)
- 日本万国博覧会会場・基幹施設計画、お祭り広場(1970年)
- 草月会館(1977年)
- ハナエ・モリビル(1979年)
- 赤坂プリンスホテル新館(1982年)
- 兵庫県立歴史博物館(1983年)
- ナイジェリア・新首都アブジャの都市計画(1981年〜85年)
- シンガポール OUBセンタービル(1986年)
- 大津プリンスホテル(1989年)
- 広島国際会議場(1989年)
- 横浜美術館(1989年)
- 君津市民文化ホール(1990年)
- 新東京都庁舎(1991年)
- 兵庫県立人と自然の博物館(1992年)
- 新宿パークタワー(1994年)
- シンガポール UOBプラザ(1995年)
- ナポリ市新都心計画(1995年)
- フジテレビ本社ビル(1996年)
- WHO神戸センター(1998年)
- 新香川県庁舎(2000年)
- ベアズパウ・ジャパン・カントリークラブクラブハウス(2000年)
- 東京ドームホテル(2000年)
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